2014年6月27日金曜日

清水に行って自由になる


 巖さん面会記録
  6月20日(金)

 部屋に入って、あいさつの後様子を聞きしました。
 「だんだん回復している。もう少しだ」と返事がありました。ボクシングの試合のDVDを見てから散歩に出かける予定をお伝えし、持参したボクシングの山中選手のKOシーンのDVDをパソコンの画面で見ました。巖さんの右手に持った扇子の上下動が、時々止まり真剣に見ている様子が伺えました。
 散歩について巖さんから「ドライブか」と聞かれ、車で出かけることを伝え、テクノ都田公園に出かけました。今日は福井さんが同行し、元プロボクサーとの自己紹介をしながら、福井さんが現役時代の写真を見せたところ、「若いころだな」との感想がありました。
 福井さんから「金子選手を知っていますか」と尋ねたところ、「先輩だな」と直ぐに返事がありました。
 公園では、15センチ位の段差は手を持ってあげクリア。なだらかな草地を50メーターくらい歩き、ベンチに座りました。福井さんが現在練習用に使っているグラブを巖さんにはめてもらおうとすすめたが、「そんな元気はない」と、少し笑みを浮かべながらの答でした。この後は「ボクシングは東大でやった」とか、子どもの頃の思い出は「忘れたな」とか、住みたいところは「ハワイ」、公園の周りの景色については「時間がすすんで新しい時代になっている」などと答があり、妄想の世界に左右されながらも思い出しながらの返事もありました。話の中で「清水へ行って自由になる」というような事が聞かれ、「清水に住みたいのですか」と尋ねたところ「住むのではなく、自由になることに決まっている」との返事でした。
 今日はほとんど歩かずに終わりましたが散歩は、「歩かなくても車で動けば身体も動くから同じだ」と言っていました。 
 部屋の戻り、カレンダーで今日の日を確認しながら、年齢を聞いてみました。答がなく、生まれた年を聞いたところ「昭和11年」との事でした。カレンダーの余白に 昭和11年 1936年と書き、その下に平成26年 2014年 と書いて、「78歳ですよ」と伝えました。この説明が不十分なのか納得の表情ではありませんでした。ただ「平成はなくなった」ということを言っていました。
 帰りの声をかけたところ「ご苦労さんでした」とあいさつが帰り、「また来ます」と失礼しました。
 「清水へ行って自由になる」という巖さんは「無罪」を勝ち取った思いなのでしょうか。であれば、何とも非情な現実だと思います。全ての争いがなくなって、死刑の恐怖がなくなったと理解しようとしているのではないでしょうか。
 水分補給をすすめましたが、「飲むと出さなきゃいかんで」と断りがありました。これからの戸外での水分補給が課題だと思いました。
 巖さんは今の状況をどのように理解しているのかまだまだ分かりませんが、いろんなきっかけを作ってあげ、徐々に徐々に48年に及ぶ空白が埋まることを期待したいです。

巖さん故郷に

巖さん面会記録 6月26日(水)

病院に着いて巌さんに「何処か行きたい所ありますか」と聞くと「岩水寺に行くことになっているようです」と言われました。
秀子さんが「昨日、姉を50年ぶりに訪ねたから、色々と故郷の思い出が戻って来ているのかもしれないね」と言われ、岩水寺に行く事にしました。
着いてから、ジュースの自販機の前で、「何か飲みますか」と言うと「小便ばかりでるから、コーヒー位でいいか」と缶コーヒーを飲み、「少し散歩しましょうか」と促し、50m位歩くと寺の中には入らず、「そろそろ戻りますか。あまり歩くと疲れてしまうから。」と車に戻り始めました。
秀子さんが「毎日リハビリ始めたからあまり歩かなくてもいいと思うよ」と言っていました。車に乗り込むと「公民館に行くのを忘れたから、公民館に行ってもらえますか」とはっきり、本人の意向を話されました。
「公民館の隣に、靖国神社がありますから」と話し始められました。
秀子さんが「確かに近くに神社があった。中瀬の小学校の近く。姉にあったから、色々思い出していると思う。」と言われ、行ってみました。
神社に着き巌さんに「思い出しました」とた尋ねると「建て物も変わっている」と言われ神社の前で柏でを打って拝礼していました。
「故郷に帰ってきた報告ができましたね」と言うと「やっと故郷の土を踏む事ができました」と満足そうでした。
秀子さんが「もう家はないけど甥が住んでる家があるから、ここまで来たら行ってみます」と話され、突然ですが寄る事になりました。奥さんがいてあげて頂きました。
 ご両親の写真の前に秀子さんが連れて行って見せましたが、それほど反応しませんでした。仏壇の前に案内されると柏でを打って「○○の旅人、ここに帰って来ました。」とはっきり言われ、報告していました。
 奥さんがお茶を出してくれると「小便ばかり出てしまう」と一口口にすると、5分も立っていないと思われるが、「もう帰りますか」と席を立ち始めました。
 慌ててお茶を頂きました。奥さんは、「伯父さん又来て下さい」と言うと「ありがとうございました」と反応していました。
帰りの車の中で秀子さんが「天竜川に行ってみる」と聞かれ「危ない」とあまり記が進まない様子なのでそのまま帰る事にしました。数分走ると「後で天竜川に行けば良かったと後悔してもいけない」と言い出し、川らに行ってみることにしました。
 川筋が少ししか見えない位置でしたが車から降りると、散歩していた婦人が「いつもテレビで見ています。本当に良かったですね」と秀子さんに話しかけて来ました。一緒に写真を撮ってもらい、早々に病院に戻って来ました。
 車を降りる時は、「ありがとうございました」とお礼を言ってくれました。

図らずも意図されていた故郷コースをたどった時となりましたが、感動的な瞬間でした。(訪問者:安間)