2018年4月21日土曜日

巌さんはどうして高検に入らなかったのか(2018.3.12)












1 高検で入り口方向を見る。この前方に警備員が・・・。(左上)
2 何を思ったのか向きを変える。引き止めようとするひで子さん。(右上)
3 さっさと階段を下りようとする。唖然とする小川さん。(中段 左)
4 引き戻そうとするひで子さんを振り払って。(中段 右)
5 ひたすら前進。追いかけるメディア。(下段 左)
6 巌さんの行方を見るひで子さん、西嶋さん、小川さん。傍らに警備員の姿。
                                  (下段右)
311日(日)は京都で弁護士会主催の集会があり、ひで子さんは出席予定でした。

 この日の朝、ひで子さんが出かける支度を始めたところ、巌さんから「どこへ行く」と尋ねられたようです。「京都へ行く」と答えたところ「西の方か、それじゃ行かにゃ」ということで、急遽同行となったようです。
 集会では、壇上であいさつし、シュンポジュームは退席し、京都観光をしたようです。
 翌朝は新幹線で東京へ直行。
 東京についてからの巌さんは、ひで子さんに腕を抱えられていることに「うるさいな」と、抱えている腕を振り払っていたようです。
 14時からの高裁要請のため西嶋弁護士と弁護士会館で待ち合わせ、高裁へ。
 以下、メディアの方々から巌さんの様子を聞きました。

1 東京高裁にて
  弁護士会館15階のソファーで一休みした後、裁判所玄関に。
  ひで子さんは巌さんに裁判所に行くとの説明はしていない模様。
エレベーターに乗って裁判所の15階刑事8部に。要請終了後、小川弁護士が「巌さんに怒られた」と出てくる。理由は、巌さんに「ここは裁判所」と言ったところ、いきなり「うるさい」と怒られたようです。
  
2 東京高検にて
  高検前で足の止まった巌さんに(1)ひで子さんや小川弁護士が何やら話しかけ、制服姿の警備担当者数人が「どうぞどうぞ」という素ぶりで入るように促した瞬間、巌さんはくるっと向きを変えて逃げ出したような格好でした。(2) 歩きだす巌さんを引きとめようとした、ひで子さんの腕を振り払い階段付近で、「捕まったんじゃしょうがない」と言ったようです。(3)
それから一人でどんどん歩きだした巌さんに、後ろから追いながら声をかけるひで子さんに、「離せ」と腕を振り払いました。(4)
 TVカメラクルーが「あっちですよ」と声をかけたところ、「 関係ねえんだ、あんなものは、あいつらばい菌なんだ、ばい菌で死んじゃう」との返事あり。
 その後東京の支援者の平野さんが巌さんに追いついて「巌さん」と、声をかけたところでも「終ったんだ」と答えていました。

 以上のような11日から12日の巌さんの様子でした。

3 巌さんが触れたくない事柄との直面について
高裁及び高検での巖さんの様子は、拘禁反応の原因の一つである「事件、裁判」に関連した現実に直面した結果であったと思います。
   以下、4年前の解放翌日と同じ年の1122日の巌さんの言葉を紹介します。 
   2014328
「世界中で一番強い者として、世界で一番優れた者として、世界で一番正しいと認め 
  られ、歴史が終わった」と、入院先のベッドでの言葉です。
  20141122
「正しいことで国家権力に勝った。最高裁に勝ったということ。袴田巖は裁決になった
んだから。釈放するじゃ、死刑判決下していたのが、死刑できんのだからね。最高裁が負けたんだ。袴田巖が裁決になっちゃった。権力支配。権力の強さだな。それだけはっきりしているんだね。最高裁が負けりゃ一番強いのが袴田儀式で、検察、裁判所に闘って、一番強いのが最高裁だ。それが袴田に負けたって言うんで、袴田巖が最高裁になっちゃった。」と、表現しています。
そして、「事件も裁判もない」と言い続ける巌さんの妄想的世界があります。

なお、精神神経学会、多摩あおば病院の中島医師による、200811月作成の意見
書では、「こうした症状は・・・死刑の確定の後、昭和60年ころから出現している。拘禁反応には、文字どおり拘禁の影響のほか、公判の経緯や他者との関係が影響する。 中略 このころの精神症状の主体である妄想及び幻覚の内容をみても、自らに被害を及ぼす者として拘置所職員を示唆し、それが次第に強大な力を持つようになり、それに応じて自らも人並外れた能力を持つとの誇大妄想が生じ、それぞれに対応する幻覚を伴っているという意味で、拘禁状況に強く関連したものであることが明らかである。 後略」と、拘禁反応の原因に拘置所職員の存在がある事に触れています。

   巌さんのこの日の反応は裁判所と知らず、高検前では警備員と対面してしまい、妄 
 想によって避けて、隠してきた事柄に直面させられ、その場面を回避しようとした姿であったと思います。「捕まったんじゃしょうがない」或いは「終ったんだ」とか、さらには「関係ないんだ、あいつらばい菌なんだ」と、自分の妄想的世界を崩されまいと、何とか治めてしまいたいという様子であったと思います。
   この日の様子は巖さんが抱える妄想的世界に、少なからず打撃を与えたものだと思いますが、翌日の巖さんはいつもと同じように街に出かけています。このことは巖さんの妄想的世界の壁が如何に高く、厚い物であるいう証明だと思いました。(文責:寺澤)

2018年4月11日水曜日

特別抗告阻止に向けての要請書


特別抗告阻止に向けての要請書

平成30年3月19日

袴田巖死刑囚救援議員連盟 御中

               袴田事件弁護団 
                  団長 西 嶋 勝 彦

第1 要請の趣旨
 法務大臣は,個々の事件について,検事総長を指揮する権限を有する(検察庁法14条)ことから,本件について,東京高等裁判所第8刑事部が即時抗告を棄却したときには,川陽子法務大臣が,検事総長に対して,特別抗告をしないように指示ないし指導をされるよう,要請していただきたい。
 
第2 要請の理由
1 袴田氏の高齢と審理の長期化
(1)袴田巌氏は,本年3月10日で82歳となった。高齢であり,健康状態も,糖尿病等をかかえるなど万全でない。
(2)平成26年3月27日に静岡地裁が再審開始決定をしたが,検察官の即時抗告により東京高裁に係属してすでに4年が経過しようとしており(審理は終了し,現在,決定を待っている),審理が著しく長期化したこと(福岡高裁で本年3月12日に決定があった大崎事件は,即時抗告審は9ヶ月で棄却決定がなされた)
2 袴田巌氏が,人としての普通の生活を取り戻すためには,無罪判決が不可欠である
(1)袴田氏は,現在も,「こがね味噌事件」(=袴田事件)はなかった,自分は,○○の王だなどという妄想の世界にいる。これは,釈放前とまったく同じである(拘置中と同じように,妄想の世界の日記を書いている)。
(2)妄想のため,釈放後もやりたいことをやったり,自由に人との関係をつくったりすることもできない(浜松の街を歩き回るのも,最高権力者としての仕事である)
(3)妄想の世界に入っているのは,死刑執行の恐怖があるから
(4)妄想の世界から抜け出るためには,無罪判決を受ける(死刑執行がなくなる)ことが絶対に必要
3 本件は,死刑再審という重大事件である上,再審開始決定の段階で釈放された唯一の事件である
(1)静岡地裁の再審開始決定は,警察による証拠ねつ造の可能性をはっきりと認めた
(2)そのため,他の死刑再審で無罪となった4事件(免田,財田川,松山,島田)と異なり,唯一,再審開始決定とともに死刑の執行停止のみならず拘置の執行停止を認めたことで釈放された
(3)検察官は,公益の代表者とされており(検察庁法4条),本件で,袴田氏の救済のため特別抗告をしないことこそ正義であり公益にかなう。
4 大崎事件は,特別抗告をする方針と報道されている
(1)大崎事件の請求人原口アヤ子氏は,すでに90歳であるにもかかわらず,検察庁は,特別抗告をする方針であると報道されている。
(2)本件の第一次再審の際の特別抗告は,最高裁の決定まで3年7ヶ月を要した。
5 検察庁法14条は,法務大臣が,個々の事件について,検事総長を指揮する権限を有するとされている。したがって,法務大臣は,「指揮」とまでいかなくても,検事総長に特別抗告をしないよう「指示」ないし「指導」をすることは可能である。

※検察庁法第14条 法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。

指揮権発動を求める要請書 


2018319
法務大臣 上川 陽子 殿
指揮権発動を求める要請書

法務行政の円滑な運営のため、日夜尽力されていることに深く敬意を表します。

さて、大臣の地元静岡県で発生したいわゆる「袴田事件」について、静岡地裁は4年前の327日、再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定し、確定死刑囚として東京拘置所に収監されていた袴田巖さんは約48年ぶりに釈放されました。
私たち支援団体はその数日前、袴田救援議連を通じて当時の谷垣法務大臣に対し、もし静岡地裁が再審開始を決定した場合、検察が即時抗告しないよう検事総長に対して指揮権を発動してほしいと要請しましたが、残念ながら私たちの願いは届きませんでした。検察の即時抗告により再審開始は棚上げにされ、間もなく4年が経とうとしています。
東京高裁での審理は無益な鑑定のために長期化しましたが、ようやく今月中にも再審の可否について決定が出される見通しです。そこで、支援団体の総意として以下のとおり大臣に要請します。

検察庁法14条の「指揮権」を発動し、下記事項について検事総長を指揮して下さい。
1.   検察に即時抗告を取下げさせること
即時抗告審では捜査機関が半世紀にわたって隠し続けてきた袴田さんの取調べ録音テープが開示され、接見盗聴、トイレにも行かさない自白強要、偽証、捜査書類の偽造など、再審理由に該当する数々の犯罪・違法捜査が客観的な証拠によって明らかになりました。これを屁理屈で否定し、関連証拠を未だに隠し続ける検察は「公益の代表者」としての職責を放棄しています。「検察の理念」などあってなきがごとしの検察に即時抗告を維持する資格はありません。今からでも即時抗告を取下げるよう指揮して下さい。

2.   東京高裁が再審を認める決定をした場合、検察に特別抗告を断念させること
 私たちは、これまで提出された全ての証拠を公平な目で検討すれば、東京高裁が再審開始を認めると確信しています。しかし、「省益の代表者」に成り下がった検察が最高裁に特別抗告する可能性は否定できません。現に松橋(まつばせ)事件や大崎事件など他の再審請求事件でも、検察は不当にも特別抗告をし、高齢の再審請求人の死を待つかのような非人道的な姿勢を貫いています。東京高裁が再審を認める決定をした場合には、それを重く受け止め、検察が特別抗告しないよう指揮して下さい。

法務大臣の指揮権は、検察の独善・暴走に歯止めをかけるために国民が付与したものです。法が「個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」とした趣旨は、言うまでもなく、民主主義の根幹である三権分立にとって不可欠な「司法権の独立」を担保するため、準司法的性格を有する検察権が、政党の利害を背景にした内閣から不当な政治介入を直接受けることを防止することにあります。現政権と何ら政治的利害関係を持たない袴田さんの再審請求では、指揮権発動が不当な政治介入になるはずもありません。むしろ前述のとおり、「袴田事件」では検察が独善に陥り、袴田さんの無実を示す証拠を隠してまで、再び死刑台に連れ戻そうと躍起になっています。検察の暴走をストップさせるには、国民の代表である大臣が、国民が付与した指揮権を発動する以外に方法はありません。

―― 冤罪は生きてそそがなければ惨め過ぎるのだ。
これは、袴田さんが獄中で書いた日記の一節です。30歳で逮捕された袴田さんは、愛する子供とも引き離され、両親の死を獄中で知らされました。袴田さんはすでに82歳、再審請求人である姉のひで子さんも85歳です。「生きて雪冤を果たす」という袴田さんの切なる願いを叶えるためには一刻の猶予もありません。
最後に、これも何かの因縁でしょうか。大臣が将来への希望を抱きながら静岡雙葉学園で青春の日々を送っていた19689月、袴田さんはそのすぐ隣にある静岡地裁の法廷で死刑判決を宣告され、絶望の底に突き落とされました。あれから50年、未だ確定死刑囚の袴田さんに真の自由を取り戻させる適任者は大臣をおいて他にはいません。今こそ、造船疑獄での悪しき前例を打ち破り、果敢に指揮権発動を決断されることを強く求めます。

袴田巖さんの再審無罪を求める実行委員会
【構成団体】アムネスティ・インターナショナル日本/日本国民救援会/日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会/袴田巖さんの再審を求める会/袴田巖さんを救援する静岡県民の会/袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会/浜松・袴田巖さんを救う市民の会/無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会

浜松 袴田巌さんを救う市民の会会報 №2




袴田巖さんは無実だ!         20184月7日発行
袴田巖さんを救う市民の会会報 No.
    事務局 浜松市中区佐藤1431608   090-92614840

 




東京高裁はきっぱりと即時抗告の棄却を
検察は特別抗告を行わないこと

無駄で無意味な4年間

 4年前の袴田巌さんへの再審開始決定は、犯行着衣とされた5点の衣類が袴田さんの物ではないこと、また、味噌漬けの5点の衣類は、1年2ヶ月間味噌漬けになっていたものではなく、発見直前に投入したものと、捜査機関のねつ造によるものであると厳しい指摘がなされました。
 検察は犯行着衣とされた5点の衣類の内の白半袖シャツについていた血痕が、袴田さんの物でない事を明らかにした、本田鑑定人の鑑定方法が間違っていると即時抗告(異議申立)を行いました。

わざわざ違う実験を
 それを受けた東京高裁は、検察の主張する検証実験を、弁護側の反対を押し切り行うこととし、検察推薦の大阪医大の鈴木広一教授に検証を命じました。
 鈴木鑑定人は実験着手から12ヶ月の時間をかけ、実験結果を裁判所に提出しました。しかし、提出された意見書は裁判官の指示に従わないで行った実験結果をまとめたものでした。
 裁判官の検証実験の目的は、本田鑑定人の行った「選択的抽出法」の是非でしたが、鈴木鑑定人は裁判官からの指示に従わず全く別の実験を行ったものです。
 実験で使われた溶剤も違えば、器材も違い、条件の設定も違うというものでした。一方で本田鑑定人の指導のもと、弁護士と学生が実験を行ったところわずか9時間で再現が出来ました。
 鈴木鑑定はわざわざ違う事をしていたわけで、再審開始決定でのDNA鑑定による、5点の衣類の中の白半袖シャツの血痕は袴田さんのものではないといことに、間違いはないことが改めて確認できました。

開示された録音テープで違法捜査が明らかに

 検察は地裁審理で、袴田さんが自白したという内容の録音テープを1巻だけ「これだけだ」と開示しました。ところが、警察署の倉庫の中から発見されたとして、オープンリール24巻録音時間約45時間分の取調べ録音テープが開示されました。
開示された録音テープの外箱の一つに「822日 No.2 午後440分~45分 岡村弁ゴ士」との記載のものがあります。そのテープには、袴田さんが「パジャマ血がついているとかそう言われても僕はわからないんだ」などと話し、事件とは無関係であることを当時の弁護人に訴えている接見時の会話が録音されています。弁護人との接見を盗聴した公務員職権濫用罪です。         
これ以外にも、取調室への便器持ち込みに関する偽証罪、取調室に便器を持ち込み取調官の面前で小便をさせた特別公務員暴行陵虐罪、犯行着衣とされたズボンの寸法札に関する実況見分調書を偽造した有印虚偽公文書作成罪など、警察官が捜査や公判で数々の「職務に関する罪」を犯していたのです。
こうした録音テープの存在が袴田さん逮捕直後の静岡地裁の段階で明らかになっていれば、袴田さんが違法捜査によって犯人にさせられた事が白日のもとにさらされ、罪に問われる事もなく今の袴田さんが背負わされている残酷な人生はなかったのです。

警察官によるねつ造証拠=逮捕後に出来たすねの傷
犯人である根拠と認定されていた巌さんのすねの傷と履けないズボンの損傷は合致していなかったことが判明!しかも、すねの傷は逮捕後にできた傷であった。
 
 巖さんのすねの傷
かぎ型
196698日撮影)

 はけないズボンの
        鍵裂き¬
19671228日撮影)

巖の自由な時間を奪わないで   袴田ひで子
再審開始決定から3ヵ月後の2014629日から、巖との暮らしが始まりました。
「世界で一番強い者として認められ、世界で一番優れた者として認められ、世界で一番正しい者として認められ、歴史は終わった」と、巖は獄中からの解放を自力で勝ち取ったものとして、自分の世界を作り上げています。
再審開始決定の日、意味も分からず待たされた部屋のドアの向こうから、巖が出てきて、ソファに座りながら「釈放された」という言葉を聞いて、何が起きたかと思いました。無表情で、何を考えているのか分からないような、その日の巖の状態から比べたら、最近では表情は大きく変わり、笑顔も沢山出るようになってきています。大変嬉しく思っています。
このままの巌の自由な時間が過ぎてくれることを望んでいます。食べたい物を食べ、出かけたいときに街に出かけ、疲れたら休む、眠りたいときに眠るという、巖が長年闘って手にした自由な時間を続けさせてやりたいと思います。
今では、毎日のように浜松の街を5キロから6キロを56時間かけて歩いています。傍から見ると散歩をしているように思いますが、巖の心は獄中のままで、気ままに時間を過ごしているようには見えません。
事件から半世紀が経ち、身に覚えのない罪で裁判にかけられ、死刑囚にさせられた恐怖が今も続いていると思います。裁判は時間がかかっていますが、巖の健康を守りながら、皆さんのご支援を頼りに、巖との二人三脚で「そうはいくかよ、負けてたまるか」と、心を強くして進みたいと思います。(2017年9月26日 証人尋問の日のメッセージより)

袴田巌さんの再審を開始せよ! 
2・24全国集会
2月24日(土)東京水道橋のYWCAで、「袴田巖さんの再審を開始せよ!2・24全国集会」が開催されました。
 集会には浜松からバスを貸し切り13人が参加しました。また、巌さんが思いもかけずお姉さ んに連れられ集会に登場し、集まった支援者の熱い声援を受けました。
 3月の決定が予想される中での集会で、検察の即時抗告の棄却が望まれるものの、最高裁への特別抗告、さらには巖さんの再収監をさせないことを求めるための集会でした。 
西嶋弁護団長から「高裁決定は、再審開始しかあり得ない」と題して報告が行われました。その後、巌さんとお姉さんが大勢のメディアのカメラマンに囲まれて挨拶がありました。
巌さんとひで子さんの挨拶の後「特別抗告をさせないリレートーク」があり、評論家の江川紹子さん、作家の雨宮処凜さん、狭山事件の石川一雄さん、足利事件の菅谷利和さん、関東学院大教授の宮本弘典さん、福岡事件支援者の古川龍樹さん、ボクシング協会の渡辺会長と新田事務局長、フォーラム90の深田さんたちから、巌さんへのメッセージがありました。
 さらに、巖さんのドキュメンタリー映画を作った監督の金さんと、歌手の小室等さんが対談して、現在作成中の「冤罪音楽プロジェクト イノセンス」について語られました。そして、懐かしい「木枯らし門次郎」のテーマ曲などを小室さんが歌ってくれました。
 そして、集会アピールの採択に合せて、参加者が手に手に「再審 無罪」のプラカードが掲げられ、盛況の内に閉会しました。
      生あるうちに再審無罪を!
= 袴田巌死刑囚救援議員連盟緊急総会 =
 年度内の決定を見越して、議連の緊急総会が、319日(月)衆議院第2会館で開催されました。塩谷会長から「公正、公平な司法判断と早期再審開始を求めていく」との開会あいさつの後、出席した各党世話人と3人の顧問が次々とあいさつされました。
 議連立ち上げの原動力であった元議員の鈴木宗夫顧問が「立ちあげた者として、最後まで責任を持って、正義の道を切り開きたい」と、元会長の牧野顧問が「この問題は司法の問題であり、政治の問題である。超党派で袴田さんの命を守る」とあいさつがありました。
 その後、弁護団及び支援者から議連に要請書が手渡され、塩谷会長から「しっかり受け止め行動していく」との挨拶が述べられました。
 その後、弁護団報告が西嶋弁護士から行われ、続いて、ひで子さんから「巌の48年のつらく苦しい思いを最近ひしひしと分かってきた。可哀そうで、好きな事をさせている。再審開始にならないかと期待している」とあいさつがあり、総会決議が採択され閉会しました。

the最終ラウンド
    ボクシングチャンピオンたちが要請行動
1月22日(月)の東京は雪でした。この日全国から集まった輪島功一さんなどの、ボクシングチャンピオンたち60人が東京高裁前で、「フリー袴田」など大声で、袴田巖さんの再審開始を求めた一大イベントが行われました。
 冷たい雪が降りしきる中、次から次とボクサーたちの高裁前で のアクションが続き、終了後代表者20人が、高裁への要請行動を行いました。
 その後、司法記者クラブで、輪島功一さんなどボクシング協会の代表者による記者会見が開かれました。

高裁決定後、巌さんの故郷浜北で報告集会の開催を予定しています。
5月連休明けで・・・

 


映画「獄友」上映のお知らせ
4月21日から5月1日まで  浜松 シネマイーラにて
 袴田巖さんのドキュメンタリー映画「夢の間の世の中」の金監督の、冤罪シリーズ第3弾の映画が完成しました。
自分たちのことを「獄友(ごくとも)」と呼び、獄中での野球や毎日の食事や仕事のことを懐かしそうに語り、笑い飛ばす。そこには同じ殺人犯という濡れ衣を着せられた「冤罪被害者」という立場だからこそわかり合える時間があった。そしてなぜ「自白」したのか、獄中で何があったのか、娑婆に出てからのそれぞれの人生と友情を追う。いま、 "ごくとも"たちは、"青春"のまっただ中にいる。
21日は、金監督とひで子さんの舞台挨拶があります。
全国共通特別鑑賞券(1300円を1000円で)を同封の送金票でお申し込みでください。送金あり次第鑑賞券を郵送いたします。
映画に登場する獄友たち5人で獄中155年
獄中29年「布川事件」桜井昌司
1967年、茨城県で起きた「布川事件」の強盗殺人犯にでっち上げられたふたり。無実を叫び続けた29年間の獄中生活の後、仮釈放。2009年再審開始。そして2011年無罪が確定。釈放後それぞれ結婚。杉山さんは2015年病死。
獄中29年「布川事件」杉山卓男
1967年、茨城県で起きた「布川事件」の強盗殺人犯にでっち上げられたふたり。無実を叫び続けた29年間の獄中生活の後、仮釈放。2009年再審開始。そして2011年無罪が確定。釈放後それぞれ結婚。杉山さんは2015年病死。
獄中17年6ヶ月「足利事件」菅家利和 
1990年に栃木県で起きた「足利事件」で4歳の女児殺しの犯人にでっち上げられた。獄中生活は17年6ヶ月。2009年におこなわれたDNAの再鑑定で無実が証明され、再審開始を前に釈放。2010年、再審で無罪が確定。
獄中31年7ヶ月「狭山事件」石川一雄
1963年埼玉県で女子高校生が殺害された「狭山事件」の犯人として、不当な捜査によって逮捕される。1964年一審死刑、1977年無期懲役確定。その後、1994年仮釈放。獄中生活は31年7ヶ月に及んだ。現在第三次再審請求中。釈放後結婚した早智子さんとともに、無実を訴え続けている。
獄中48年「袴田事件」袴田巖
1966年、静岡県清水市で味噌会社専務一家4人が殺され放火された、いわゆる「袴田事件」で犯人にでっち上げられた。1980年死刑確定。その後も無実を訴え続けた。2014年、ようやく静岡地裁において再審決定され、48年ぶりに釈放。検察が即時抗告したため今も死刑囚のままである。現在は、姉の秀子さんと浜松市で暮らす。
★ ★ ★ カンパのお願い ★ ★ ★
多くの皆さんからの温かいご支援をいただき感謝申し上げます。
2017年の1年間で186,381円の送金カンパをいただきました。貴重なカンパは巖さんの誕生祝や活動費に使わせていただきました。
引き続きのご支援をどうぞよろしくお願いたします。
   カンパ送金先 
ゆうちょ銀行 浜松船越 浜松 袴田巖さんを救う市民の会 
《 浜松 袴田巖さんを救う市民の会 》
連絡先/浜松市中区佐藤1-43-1-608 ℡ 090-9261-4840

口座記号番号 00890-7-183799